悲しみのプロセス 『家族を亡くしたあなたに 死別の悲しみを癒すアドバイスブック』を読んで
こんにちは、ナユリゼです。
あゆむを出産後まもなく亡くし、
帝王切開だったので8日間も入院し、
そして退院してきた後のこと。
どうしようもなくて、とにかく本に頼りました。
死別に関わる本を色々探して読みました。
今も引き続き色々読んでいます。
内容も内容なのでそんなに読書は進まず、まだせいぜい10冊程度ですが、
気持ちの変化も相まって、
だいぶ理解が進んできたようにも思います。
何かを極めたいならば関連本を100冊読めばいい、
という話を聞いたことがありますが、
10冊くらいでも概要だけはある程度つかめると思いますね。
で、この一週間はこれを読んでいました。
『家族を亡くしたあなたに 死別の悲しみを癒すアドバイスブック』
文庫なので外出時も持参して読み進めやすいです。
著者はまだ17歳だった息子を亡くし、
そこから10年の間に何人もの肉親を亡くした経験を持っておられます。
フロリダ州タンパに住んでおられたときに、
愛する人を亡くした125人もの遺族たちに会い、
その全ての人について死別後2年間の追跡調査を行ったそうです。
(著者はこの調査のことを「タンパスタディ」と銘打っています)
これをもとに書かれた書籍のうちのひとつが本書のようで、
とても興味深いです。
著者はタンパスタディをもとに気づいた「死別の悲しみのプロセスにおける段階」
を5つあげ、それを順に章ごとに説明しています。
(最終段階としてもう一つ最後にあげてもおられますが、それについてはさらっと書いておられます)
死の受容の「段階」としては
エリザベス・キューブラー・ロス氏の5段階モデルが有名ですが、
本書ではそれと似ているけれども若干異なった考えを展開しています。
せっかくなのでちょっと説明してみますと、
キューブラー・ロス氏の「5段階モデル」はもともとは自身の死をどう受け入れていくかのプロセス(の傾向)を表したものでしたが、
遺族の喪失の悲しみもこれと同じような段階をたどる、と言われており、
グリーフケアについて勉強していくと必ず早い段階でこの5段階モデルを目にします。
- 第1段階 「否認」
(そんなことが起こるはずない、何かの間違いだ、と否認) - 第2段階 「怒り」
(なぜ自分だけに辛いことが起こるのか、あらゆる方向に怒りを向ける。) - 第3段階 「取引」
(「いい人間になるから命を助けて欲しい」など、神のような存在と取引) - 第4段階 「抑うつ」
(取引が無駄であることを認識し、失望、抑うつ状態となる。) - 第5段階 「受容」
(悲嘆の気持ちとともに、死の事実を受容する。ただし幸福とは違う)
ロス氏はこの段階は順番に進むとは限らず、またすべての段階がすべての人に起こるとも限らない、と述べておられるのですが、
あまりにもこの5段階が有名になりすぎてしまったために一人歩きし、
誤解や弊害を生んでしまっている場合も多いようです。
でも、わたしは説として非常に的確だな、と感じています。
そして、本書での5段階ですが、
・第1段階 「ショック」
・第2段階 「喪失の認識」
・第3段階 「引きこもり」
・第4段階 「癒し」
・第5段階 「再生」
となっています。
細かい内容まで見るとかなり重複していたり、まとめ方が異なるだけで
似ている部分はあるのですが、項目だけ見るとロス氏のものとは全く別物です。
でもやはり説として的確だな、とこちらについても感じます。
(ちなみにわたしは今はどちらにしても第2~第4の間をうろうろしている段階かと思われます)
両説を比べて見てみると
やはりこれから死を迎える人と、これから生きていかねばならない人とでは
こうも違ってくるのだな、
と思わざるをえません。
本書は「残されて、改めてこれから先の人生を生きていかなければならない人」
に特化して書かれた本なのです。
どんなに愛する人を亡くしてしまったとしても、
残されてしまった以上は、命ある限り生き続けなければいけないし、
生きている
ということはすごいもので、
傷が出来ても治ろうとし、おなかがすいたり、眠くなったり、
光を浴びたくなったりしたくなってしまうものなのですよね。
わたしのお腹の中で育って生まれてきて、確かに生きていたはずなのに、
死んでしまったあゆむのことと、
あゆむがいない今も元気に生きていて、特に死ぬ気配もなく、
生きなければとすら思っているわたしのことと、
両方のことを考えて、いつもふしぎに思います。
両者はいったい何が違ったのだろうか。その理由は何か。
答えなどどこにもないことは良く分かっています。
では今回はこのへんで。
みなさんの宝物が守られますように。
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