祈りとあの日のきらめく空と

初めての出産と、18トリソミーと診断された我が子あゆむのこと。           あゆむは2019.1.24にこの世に生まれ、そしてお空に帰っていきました。     地上で生きる天使ママの日記。

トータルペインといばらと宴会。

こんばんは、ナユリゼです。

 

先月末のお話になりますが、

 

『第6回 トータルペイン緩和研究会カンファレンス』

 

という会に参加してきました。

(医療関係者だけでなく一般の人間も参加可能。講演会形式)

 

トータルペイン

とはあまり聞いたことのない方もいらっしゃると思うのですが、

ある意味グリーフとも共通するところがあり、

あゆむが亡くなってからグリーフ(悲嘆)などについて調べる中で

時々出くわす単語だったので、

以前から興味深く思っていたのです。

 

ちなみにトータルペイン(全人的痛み)については

こちら↓が分かりやすいかと。

www.kameda.com/patient/topic/palliativecare/04/index.html

 

痛み

って一口で言っても

単純に体の痛みだけってことはないですよね?

体が痛ければ気持ちは不安になり、

それが続けば希望も失われがち。

そして痛みにより社会生活が以前のように送れなくなったり、

人生の意味や死について深くかんがえることを与儀なくされたりすることもあります。

そして、これらのさまざまな痛み(苦痛)は

互いに影響を及ぼし合っている。

たとえば気持ちがひどく落ち込めば、

眠れなくなったり、頭痛がしたり、明るい将来を思い描けなくなったり、

しますよね?

そしてそれらによって余計に気持ちが落ち込んでいったり。

でもよく寝て、痛みもなくて、ちょっと希望の見える出来事があると

気持ちもちょっと上がってきたりする。

心も体も社会性も精神性も

すべてはリンクしています。

 

よって、それらすべてを含めて総合的に「痛み(苦痛)」とし、

ケアをしていくことは治療において必須である、

という考え方が「トータルペイン」の軸です。

主に末期がんなどの緩和ケアでは

最近この考え方がかなり普及しているようです。

チームでないと難しい面がありますし、

個人によって状況・病状・環境・性格や家族関係の色々、などを

考慮しないと成り立たないため、正解はない。

現場の方々が日々いかに悩まれ、努力されているか・・・

頭が下がる思いです。

会への参加もほとんどが医療関係の方だったようにお見受けしますが、

会場はそれなりに詰めないと席がないような状態でした。

 

 

さて、今回講演は4つあり、どれもテーマが全く異なるので面白かったです。

わたしの目当てであった招待講演の演目はタイトルが

『種を撒く人 ~困っている人と、一緒に困ってくれる人~』

だったのですが、

内容もさることながら語り口もコミカルで楽しく、1時間があっというまでした。

講師の先生は

新渡戸稲造記念センター長の樋野興夫先生で

「がん哲学外来」というものを開設して

癌で不安を抱えた患者と家族を、対話を通して支援しておられます。

さらに「がん哲学外来カフェ」などの活動や、本の執筆もたくさん。

精力的に動いておられる方です。

 

講演を聞いていて、

「こんなにも芯がぶれない人もいるのだな」

と感心するほどに

おそらく若いころからずっと

「種を撒く人」

であろうとし続けている人なのだな、と感じました。

『がん哲学外来』も

カフェも著作も講演も、全然ぶれません。

なのに講演は

なんとなくのほほんとした話し方で(※褒めてます)

なんとなくテキトーでお茶目で(※褒めてます)

肩の力が抜けまくりな感じ(※褒めてます)。

この先生のお話、また聞いてみたいなあ

と非常にあったかい気持ちで帰宅しました。

 

ちなみに

がん哲学外来のホームページを見てみたのですが、

講演会には負けますが

やはりどこかのほほん、お茶目、肩の力抜けまくり、(※褒めてます)

な雰囲気が漂っています。

非常にまじめなのに不思議なものですが。

まじめゆえの「のほほん」ってありますよね?

そういうのって芯が通っていてこそだと思う。

芯がない人は真ののほほんはできませんから。

www.gantetsugaku.org/index.php

 

このホームページに「マンガで見るがん哲学外来 日向ぼっこ」

という結構本気なマンガ連載がありまして、

オススメです。

 

「がん哲学外来 メディカルカフェの手引き」

っていうコンテンツがあるんですが、

まじめな顔して普通に

『偉大なるおせっかい症候群』

についてせっせと書いておられて、

なんとなくにやにやさせられます。非常に好みです(笑)

 

講演の中で、先生の座右の銘なのか、

こんな一文が紹介されてました。

 

『人生いばらの道 されど宴会』

 

よく聞くような

「人生は楽しんだもの勝ち~」

とかそういうのとはちょっと違う。

いばらと宴会はそもそも基盤か、

とあゆむを亡くした天使ママであるところのわたしは今思います。

 

人生って生まれたときから死ぬまでくまなくいばらの道かも。

さらに常にどんちゃん騒ぎ。

だからこそ、

一緒にいばらを切り開いたりとか

どんちゃん騒ぎで倒れた人を介抱したりとか

周りの人とそういうふうにし合いながら

ゴール(死ぬ)まで進んでくしかないのかも。

「偉大なるおせっかい」にはコツがいる。

それはつまり人に寄り添うということ。

 

 

ゲーテの言葉だという

「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の味は分からない」

という文章も紹介されていました。

 

 

人生の味なんて涙を流すくらいならわからなくていい

という意見もあるでしょう。

けれども痛みも酔いも愛も悲しみも

何も知らないで死んだら

それが良い人生か、と言われたら

わたしには答えられません。

 

けれども、どんな人生でもきらきらが見えるのは間違いないです。

わたしは

種を撒きたいし、

偉大なるおせっかいでありたいです。

それは

強くなければできないことです。

 

わたしは強くなりたいです。

 

 

みなさんの宝物が守られますように。