生きていく夢『ようこそ夢屋へ 南蛮おたね夢料理』(倉阪鬼一郎/光文社文庫)
こんにちは、ナユリゼです。
こんな本を読みました。
『ようこそ夢屋へ 南蛮おたね夢料理』(倉阪鬼一郎/光文社文庫)
幕末の江戸を舞台にした時代小説なんですが、
展開などがなんというか割と現代的で、
たぶん幕末のことをよく知らなくても違和感なく読めると思います。
描かれるのは市井の人々ばかりですし、
なおかつ、現代ではありえないような生活苦の様子も見られず、
感情移入もしやすいです。
時代が変わっても
人は愛する人を亡くして悲しむし、
美味しいものを食べて少し元気が出たりするし、
人との温かい交流に心が救われたりすることもある。
辛いことがあっても
命がある限り生き続けなければならないことも同じ。
だったらどう生きればいい?
と考えながら生きていかないといけないのも同じです。
本書の主人公は
江戸を襲った大地震で幼い一人娘を亡くしたおたねさんという女性です。
彼女が、やはり地震で夫を亡くしたおりきさんという女性と一緒に
料理屋を始め、
いつの間にかその見世にさまざまな人が集まってきます。
お料理の描写がほんっとに美味しそう。
例えば、お店の看板料理のひとつ「玉子飯」の作り方を抜粋してみましょう。
『まず玉子を割り、酒と塩を少々加えて煎り玉子をつくっておく。
前の晩から水につけておいた昆布と鰹節で取った黄金色のだしに醤油と塩を足し、味を調えたかけ汁をつくる。
ほかほかのごはんを丼に盛り、煎り玉子をのせる。そこに、あつあつのかけ汁を注ぎ、ゆでた青菜や葱、木の芽といった青物を彩りに添えれば出来上がりだ。』
うーん・・・美味しそう。
全然特別な材料使ってなくて、リアルに想像できるからこそ
余計に美味しそう。
こんな感じの料理の描写や
現代では当たり前になっている「南蛮わたりの食材」も
色々な豆知識とともに登場し、
それをどうやって美味しく料理するか、という工夫の様子も描かれていて、
それもまた楽しいです。
さて、
おたねさんのお店の名前は「夢屋」と言います。
「夢」は儚く、すぐに消えてしまうことから
験が悪いということであまり名づけに使うことはなかったようですが、
一応表向きの理由として
地震で壊滅的になった江戸に今いちばん必要なのは夢ではないか、
と考えて店の名前を決めた、
とおたねさんがあるお客さんに話をするシーンがあります。
でも、実は夢屋の夢は
おたねさんの娘、おゆめちゃんの名前をつけた「夢」なのでした。
おそらくですが、当時は人の命名にも験担ぎで、あまり夢の字は使わなかったんじゃないかなあ、と推測します。
けれどもおたねさんの夫は、かの有名な佐久間象山にも師事しており、
おたねさんの両親はともに医者、
ということで比較的先進的な夫婦なのだろうとこれまた推測でき、
未来への希望をたくさんこめて、
大事な娘に「夢」という名前をつけたのではないかなあ。
その夢ちゃんがたったの3つで亡くなり、
残された両親がお店に「夢屋」と掲げた。
夢屋の夢はおゆめの夢。
死んでしまった娘がお店ののれんになって生き返り、
おゆめの夢をのせたのれんが、
風にはためき、さまざまな客を迎え、
人を少しでも元気づける。
本書の主軸となるエピソードの中に、
薬種問屋の跡取り息子、忠吉さんのお話があります。
忠吉さんは聡明で、いつか店を継いで、いい薬を沢山集め、沢山の病人の役に立ちたい、
と勉強も熱心な志高い若者だったのですが、
病に倒れ、日に日に弱り、やがて亡くなってしまいます。
忠吉さんの両親は、息子の初めての月命日に新しい薬を発売します。
その名も
忠生丸。
息子が薬の名になって、長く生きてくれれば、と。
わたしも子を亡くした親のひとりなので、
思い入れがあり、これからずっと愛されていくであろうお店や商品に
亡くなった子の名前を付ける気持ちが
痛いほど理解できます。
あの子はもうどこにもいない。
抱きしめることも
その成長を見ることもできない。
でも違う形になって
ここに生きてるんだ、と
他の人には分からないかもしれないけど、
親たちには、分かるのです。
風が吹けば、
星がまたたけば、
あの子だ!とわかる。
途方もない寂しさはそれでも決して消えないけれど。
わたしもあゆむのことを
どんな形でもいいから残せたらいいな
愛しい、可愛い、わたしのあゆむ。
本書はシリーズものの第1作なので、
登場人物や舞台背景、関係性などなどを
理解するための巻でもあったと思います。
なので、続巻もぜひ読んでみたいな、と思う。
おたねさん夫妻の、ゆめちゃんにかかわる気持ちの変化などを
一緒に味わってみたいです。
もちろん、美味しそうなお料理のことも。
みなさんの宝物が守られますように。