祈りとあの日のきらめく空と

初めての出産と、18トリソミーと診断された我が子あゆむのこと。           あゆむは2019.1.24にこの世に生まれ、そしてお空に帰っていきました。     地上で生きる天使ママの日記。

悲しいお別れと、志村けんの思い出。

こんばんは、ナユリゼです。

 

3月29日に

新型コロナウイルスによる肺炎によって

志村けんさんが亡くなりました。

その容赦ない出来事に

すごく色んなことを考え続けています。

半月以上も経つのに毎日ずっと。

 

 

会ったこともない芸能人の死に

こんなにも強い悲しみとショックを感じたのは初めてですし、

こんなにも戻ってほしい、返してほしい、

誰か嘘だと言ってほしい、

と思うのも初めてです。

 

おかしな話ですが、

昨年伯父が急死したときよりも、祖母が亡くなったときよりも

ある意味悲しくてたまらない。

 

志村さんが亡くなってから3,4日くらいは

夜になると悲しくなって、

毎日ひとりでしくしく泣いていたし、

追悼番組を見ては笑って大号泣して、

自分で心底びっくりしました。

えーっ??

なんでわたしこんなに悲しいの?どうしちゃったんだろう???

って。

 

わたしは40代前半なのですが、

ドリフは実はリアルタイムでは見たことない。

でも「志村けんのだいじょうぶだあ!」を毎週楽しみにしていて、

翌日は友達と

「昨日の志村見た?」とワクワクしながら言い合うという

そういう小学校時代の思い出があります。

 

もともとテレビではアニメくらいしか見ない子どもだったので、

お笑い系の番組がとても新鮮だったし、楽しかった。

「だいじょうぶだあ」から他のお笑い番組に移行していく友達も多かったが、

わたしは毎週楽しみに見ていたお笑い番組って

後にも先にも「だいじょうぶだあ」のみなのです。

 

だからさんまさんもたけしさんもダウンタウンとんねるず

わたしにとってはそんなに親しみのある存在ではない。

唯一無二の志村けん、という感じ。

 

最近は全然志村けんを見ることはなかったのだけど、

彼を失ってみて色々なコントなどを見返していて、

ああ懐かしい

ああ大好きだー!

としみじみ思います。

 

いしのようこと一緒にやっていた

「ご、ご、5時!?」

の夫婦コントが大好きすぎて、

最近よく見ていますが、

面白いっていうよりなんか愛おしい、と感じる。

人間関係の愛おしさ、というか。

いいなあ。

食べ物のことでじゃんけんバトルしたり、

酷いこと言っても決まり文句からあっさり仲直りしたり、

可愛くて、ほんとにやにやする。

ふたりとも若い!なんて懐かしくなったりする。

 

志村さんは70歳になったばかりで亡くなってしまったわけだけど、

年末に亡くなったわたしの伯父は72、3だったかな。

 

伯父はお酒が好きでたばこが好きで、独身で、

母(※わたしの祖母)の病気もきっかけで体調を崩し、

ある日突然亡くなってしまった。その他ならぬ母を残して。

 

祖母は96歳だったけど、

がんが発覚するまでは普通に自宅で伯父と一緒に暮らしていて、

友人との集まりも定期的にあって、

毎日の食事も自分で作って、とってもしっかりしていた。

がんはもはや末期だった上、痛みが強かったので入院していたが、

お見舞いに行くと普通に会話が出来て、笑ってくれたりもした。

伯父の突然の訃報も

そういうこともあるだろう、と受け止めてくれて、

相続関係の書類にサインまでし終わってから

天国へ旅立った。

 

二人が亡くなったのはとても悲しかったけど、

なんていうのかな、

二人とも「終わりに向かっていく準備」のようなものが

普段の生活から垣間見えていたのですよね。

それに

近しい親族とともに思い出を語りながらきちんとたっぷり

お別れが出来たし。

 

だから「戻ってきてほしい」というような気持は何もないし、

あゆむがちゃんと導いてくれたはずだから、迷わず天国に行ったはず、

とも思える。

 

 

でも志村けん

コロナの感染リスクがあるからという理由で

家族も親しい友人も

お見舞いにも行けず、死に目にも会えず、

火葬の時のお見送りも出来ず、

家族はどんなに辛いことだろう、

と思うと胸がつぶれそうなほどです。

あゆむをもし見送ることができず、

抱きしめることもその姿を目に焼き付けることもできず、

だったとしたら・・・と考えると気が狂いそうになる。

そんなむごいことがあるか。

 

 

どうも志村けんのことを

志村けんさん

志村さん

けんさん

と呼ぶことに違和感がある。

志村けん志村けんではないのか。

そういう特別なアイコンではないのか、と思ってしまう。

さん付で呼ぶことで皮肉にも

もう彼は死んでしまったのだ、

ということを突き付けられるような気がします。

これもまた不思議なことですが。

芸能人だからこそ、ですけどね。

でも芸能人だというのに、遠い存在のはずなのに

どうしてこんなに近くて悲しいのだろう。

 

寂しくてたまらないし、

まだまだ

志村けんさん、笑いをありがとう」

なんてことは言えないし、

たぶんこの先もそうだと思うのです。

 

 

 

けれども、

「後に残されて」、そしてこんな悲しい寂しい辛い気持ちになるというのは

それだけ愛があるからだ、

ということをわたしはあゆむとのお別れによって

芯から理解しています。

悲しいのは間違いないけれど、それは救いでもあると思う。

愛する人物とのお別れの辛さは

心にしっかり持って、仲良く付き合っていくしかありません。

そういう強さと愛を持っていたい。

 

 

 

みなさんの宝物が守られますように。