祈りとあの日のきらめく空と

初めての出産と、18トリソミーと診断された我が子あゆむのこと。           あゆむは2019.1.24にこの世に生まれ、そしてお空に帰っていきました。     地上で生きる天使ママの日記。

2年め。

こんばんは、ナユリゼです。

 

あゆむの出産予定日(2019.2.13)から一年が経ちました。

まだ1年?!と驚愕の思いです。

 

天使ママの一年は長い。

特に初年度は。

 

生きて生まれることが出来なかった赤ちゃん、

生まれてきたのにほんの短い時間しか生きられなかった赤ちゃん、

その赤ちゃんたちを「天使」と呼んで、

お母さんたちのことを

「天使ママ」

と呼ぶことがあります。

 

自分を

「我が子を亡くした女性」と思うよりは

「天使ママ」と思ってる方が断然うれしい。

【わたしはあの子のママ!】

といつでも思える魔法の表現です。

あゆむを亡くした当時は全く気づいていませんでしたが、

この一年、この考え方にとても助けられてきました。

 

当然のことですが、

我が子とのお別れからの歩みは

天使ママそれぞれひとりひとり、

全くちがいます。

 

わたしに関してですが、

とにかく我が子あゆむとの関係性を築き上げてきた一年でした。

 

この世にいない子との関係性??

と人には不思議に思われるかもしれませんが、

わたしはひたすら毎日あゆむに話しかけ、

あゆむとともに空や月や星や花を眺めて喜び、

辛い気持ちのときはあゆむに愚痴って慰めてもらい、

あゆむはこういう時なんて言うかな?と想像しながら過ごしてきました。

 

今、わたしはあゆむととっても仲良しだし、

毎日一緒に暮らしています。

少なくとも【そういう感覚】でいる。

 

「あゆむくん、きっといつも見守ってくれてるね」

と言ってもらうこともあり、嬉しいのですが、

わたしとしては

でも違うのになー、一緒に暮らしてるんだけどなー、

と不思議な気持ちだったり。

 

ちなみにわたしには特別な”霊感”のようなものは一切ないです。

あゆむの姿は見えないし、声も聞こえない。

本当に一緒にいてくれているのかもわかりません。

証明もできません。

 

ということは逆に

一緒にいない、ここにはいない、

ということを証明する手段も何もないですよね?

だからわたしは信じているし、あゆむがいると感じてもいます。

あゆむがいつでも可愛くて可愛くて仕方がありません。

 

でも、

この気持ちに至るまでは本当に筆舌に尽くしがたい思いの連なりでした。

長い長い長い長い1年だったと思います。

まだたったの1年。

この先のわたしの人生のうちの、たったの1年。

 

 

 

 

悲しみは、本当にいつまでも消えることはない。

すでに悲しみは、

わたしの中の中核の部分にすとんと嵌ってしまったようです。

血肉となってしまった。

 

天使ママは2年目を今こうして歩いてます。

ベースは「悲しみ」、でも他にも色々複雑ブレンドな中核をもって。

でも、あゆむがいるので悪いようにはならないだろうと思ってます。

 

あゆむ、これからもこんなママをよろしくね。

ママ、がんばってるよ。

 

 

 

 

 

 

 

みなさんの宝物が守られますように。