祈りとあの日のきらめく空と

初めての出産と、18トリソミーと診断された我が子あゆむのこと。           あゆむは2019.1.24にこの世に生まれ、そしてお空に帰っていきました。     地上で生きる天使ママの日記。

出産直後を振り返る。

こんばんは、ナユリゼです。

 

あゆむのいない世界で日々を過ごしていて、

ふと思うことがあります。

 

「もし~だったら」

「あのとき~していれば」

 

いわゆるタラレバ話ですね。

 

 

もし、

わたしが高齢で妊娠していなかったら、

 

もし、

わたしが21週になる前に羊水検査を受けていたら、

 

もし、

もう少し早くあゆむの病気のことが判明していたら、

 

もし、

あゆむのパパがずっとそばにいてくれて、

あゆむのことをこの上なく愛してくれていたら、

 

もし、

増えすぎた羊水を臨月に抜いていなかったら、

 

もし、

帝王切開せずに陣痛を待っていたら、

 

 

などなどキリがありません。

 

でも、そのひとつひとつを考えて、

その時々の自分の選択を考えてみると、

ふしぎなことに

 

ああ・・・全部正しかったな。こうするしか本当になかったよな。

 

とつくづく思うのです。

 

どう考えてみても、

 

もしこの年齢でなければ、

いろんな運命に立ち向かおうという強さは持ててなかった。

 

もし早い段階で羊水検査をしていたら、

悩んだ末あゆむを産むのを諦めてたかもしれない。

 

もしもっと早くあゆむの病気が判明していたら、

こんなに楽しいマタニティライフを送れなかった。

 

あゆむのパパは怖がりで弱いとこあったから、

たくさんの辛いことにたぶん耐えられなかったろうし、

 

羊水抜去術を受けてなかったら、たぶん陣痛待ちになっていて、

 

そしてあゆむは危険な状態にさらされて、生きて会えなかったかもしれない。

 

母体だって危険にさらされたかもしれない。

 

 

色々危険な可能性があったにもかかわらずわたしは

あゆむと10か月間ほぼきっちりと、大きな問題もなく楽しくともに過ごし、

ともに日々を活発に頑張り続け、

不安な思いをしたのは出産前のたった一週間だけ。

帝王切開とはいえ、母体になんの問題もなくあゆむは生まれ、

産声まで上げて、

最後はわたしの胸の上で亡くなった。

苦しかったろうけど、わたしに可愛い声を聴かせてくれて、

わたしに暖かい体をくっつけてくれて、

おじいちゃん、おばあちゃんにも頑張って生きてる姿を見せてくれた。

 

なんて親孝行な息子だろう。

そして、なんてわたしを正しい方向に導いてくれたすごい子なんだろう。

 

あゆむとともに過ごした最後の数時間、

幸せすぎて、

正直なところ詳しく覚えていないのです。

 

ただただ、

あゆむが胸の上にいて、

あまりにも可愛くて可愛くて、

これからもこの時間が続くような気がしていた。

あの時間が

ほんの数分だったのか、数時間だったのか、

あゆむが息を引き取ってから、

どうやって時間を過ごしたのか、

記憶はおぼろげです。

 

でも、あゆむの愛おしさだけは

一生忘れることはないでしょう。

あゆむとのすばらしい思い出は

ずっとずっとわたしとともにあるでしょう。

 

どうか、

みなさんの宝物がこのさきも永遠に守られますように。