祈りとあの日のきらめく空と

初めての出産と、18トリソミーと診断された我が子あゆむのこと。           あゆむは2019.1.24にこの世に生まれ、そしてお空に帰っていきました。     地上で生きる天使ママの日記。

薄曇りの部屋の中。

こんばんは、ナユリゼです。

 

最近色々な本を読んでいます。

ジャンルはほぼ限定されていて、

とにかく今学ばなくちゃと躍起になっている、

「喪失」「死別」「子どもの死」「グリーフケア」「悲嘆」

といったところ。

たまにそうではない本を読んでみても、

なぜかそういうテーマを勝手に読み取ってしまいます。

きっと

 読む という行為自体に

自分の現状・経験などが反映されるものなんですね。

だから、本の感想を書くってことは

そのまま自分の現状や経験をさらけ出すに等しい

と思えるので(書評だとまた別なのかもしれないですが)

とっても怖いです。

でも書いている人物の人となりが見えるので、

個人的にはブログなどでそういったものを見るのは

人の魅力というものを感じるのでとても好きです。

 

そういった理由で、

今までは本の感想を書いたり読まれたりするのは

それほど好きではなかったのですが、

(でも読むことは好きなので、書きたくもなってしまうという複雑さ)

あゆむが生まれて、

そしてお空に帰ってからは

自分の気持ちを残しておきたいな、と思うようになり、

そのために本の感想を書くということが役立つなあ

と考えるようになりました。

 

いろんな本を読んで、

感想(書評ではなく)を書いておくことで、

しばらく経ってから同じ本を読んだ時の感想と異なる面が

気になると思います。

その気になる面がどんなところなのかが

楽しみだな、と思ってます。

 

たぶん人は、

何かを失うたびに部分的に死んで、

部分的に新しい人にと入れ替わっているんじゃないか

と思うことがあります。

ただ、それが連続的かつ非常に少しずつなので

ともに過ごしている人には気づかれないのでしょう。

 

あゆむが天に召されてから、

たぶんわたしの一部は死にました。

 

でも、その死んだ部分に

新しい何かが生きていくのでしょう。

自分でも、それが何なのかは分かりません。

 

今は、それが分からないことが辛いと感じているけど、

実はそんなことは前から思っており、

きっと漠然とつらいとも思ってたんでしょうね。

でも気づかないふりして、楽しいふりして生きてたんです。

ところがあゆむが現れて、

とたんに去って行って、

悲しくてたまらなくて、

どう生きていったらいいか分からなくなったから

そんな問題が浮上してきたんですよ。

現金なものです。(笑)

 

このところお天気が良くないことが多いので、

なんとなく気持ちも曇天。

うちは日当たりも不良なものでますますです。

 

そんな日もあるし、

そんなときもありますよね。

そう思える自分を

わたしは強いと思っている。

  

なんでわたしはこんなどうでもいいことばっかり考えているんだろうか。

今はそれどころじゃなく、あゆむを必死で育てているはずじゃなかったの?

 

といまだに思います。

神さまがいらっしゃるなら、

どうしてですか?と尋ねたい。

こんな、

他の機会でも考えられそうなことを、

どうしてわざわざあゆむを奪ってまで考えさせようとしておられるんでしょうか?

 

みなさんの宝物がいつもそこにありますように。