祈りとあの日のきらめく空と

初めての出産と、18トリソミーと診断された我が子あゆむのこと。           あゆむは2019.1.24にこの世に生まれ、そしてお空に帰っていきました。     地上で生きる天使ママの日記。

母は生きていく。

こんばんは、ナユリゼです。

 

あゆむのおかげで裁縫をひさしぶりにやっていて、

自分で驚くのですが、

ああ、こういうのすきなんだなわたし。

と思います。

元々何かを作るのが好きな人間だということは分かってました。

でも、ここまで何か作ることに癒される人間だったのね・・・

ということは知らなかった。

 作っているもの自体が可愛いし、天使ちゃんたちのためにも

間接的にあゆむのためにもなっている、と思えるのも要因なんでしょうけど。

 

nayurizeblog.hatenablog.com

 

今は、

人と話したりお出かけしたりアクティブに活動するよりも、

ただひたすら家にこもって縫物をしたり、

本を読んだり、ブログや日記書いたり、

好きな時に好きなだけ泣いたりする、

そんな毎日を過ごしていたいですね。

できることならいつまでも、とすら思ってしまいます。

 

もうすぐ産後休暇の8週間が終わろうとしている。

でも気持ちとしてはとてもじゃないけど

社会になじんでいく準備が全然できていなくって、

時々途方に暮れてしまいます。

 

いつも常に、悲しいゴツゴツとした硬いかたまりみたいなのが胸のところにあって、

決して消えない。

たまに存在を忘れてることもあるけど、

ちょっとしたことですぐにそれが巨大化し大暴れします。

本当にちょっとしたことだし、

わたしのそのときの状態にもよるので、全然コントロールできる気がしない。

もちろんそれの存在をないもののように無視して、

社会の中で普通に平気な顔で過ごすなどということは

怖すぎてとてもできません。

 

そのかたまりは恐ろしい、手におえない、手にあまる、

そんなやっかいなものですが、

反面、この上なく大事なかけがえのないものでもあるのです。

だから、無視して生活しようとしているということ自体にも

自分で自分が傷ついて、とても辛い思いをします。

 

だから、目標としては

このかたまりを大事に大事に可愛がりつつ、

上手に手なずけてお供にすること。

もしくは相棒でもいいかもしれません。

 

けれど、そうできるまでには

とてもとても長い時間がかかるんだろうなあ、と思います。

ひとりで過ごしているときには

あ、いい線行ってるね!

と思えることも増えてきました。

でもちょっと人ごみの中に出かけて用事を済ませたりとか、

テレビとか本とか電話とかで

なんらかの刺激が与えられると急にダメだったり。

ゆめゆめ油断がなりません。

 

あゆむは死んでしまった。

でもわたしは生きている。あゆむが生きるようにと応援してる。

だから生きないと、何かをしないと。

でも生きるってなんだろう、何かってなんなのだろう。

 

たぶん愚問だ。

 

そんな愚問を思わず発してしまうほどに

わたしは今、毎日を必死でさまよい過ごしています。

だからね、来るべき時が来たら

よくやったね、えらかった!

と自分をほめてあげよう。

あゆむだってもちろんきっとすごく褒めてくれるよね。

きみはほんとにとっても優しい子だから。

 

みなさんの宝物がいつまでもずっと守られますように。