覚悟を背負う 『待ってる 橘屋草子』(あさのあつこ/講談社文庫)
こんばんは、ナユリゼです。
今日はいいお天気でしたね。
亡くなったあゆむを抱っこして初めて外に出た日、
その日はとても空がきれいで雲一つなく、
静かに青く澄んできらめいていました。
切なかった。
晴れた空を見上げるとき、
わたしはいつでもこの日のことを思うでしょう。
腕の中の、あゆむの確かな重みを感じるでしょう。
今日の読書。
江戸深川に生きる庶民たちを主役にした連作短編集で、
すべてのお話に橘屋という料理茶屋が関わっています。
今、わたしはあゆむの死で嘆き悲しみ、
今後どうやって生きていくのか、と途方に暮れたりなどしていますが、
江戸時代の長屋暮らしの庶民にとっては
生きることはその日その日をなんとか切り抜けること、
であって、それ以上でもそれ以下でもないんですよね。
ただ、その中でも
何かいいものがやってくるのを待って、
それを頼りに生きるのではなくて、
覚悟を背負って生きる。待たずに生きる。
今の日本の世の中だとこれって難しくて、
ついつい、
もっといいものが自分のもとに来るはず、
頑張ってれば報われるはず、
周りの人たちと同じようなものが得られる可能性は十分あるはず、
などと「待ってる」状態になってしまう。
そして思う通りにならなくて嘆いたり、羨んだりしてしまう。
「覚悟」も「背負う」も重くて辛いと思ってしまう。
だけど、案外重くも辛くもないのかもしれない。
少なくとも待ってるよりは。
こどもを亡くした夫婦の話があって、涙が出た。
あの子の代わりはどこにもいない。
代わりを求めてはいけないんだと思う。仕方ないんだと思う。
だけど、一生悲しいし、切ない。
それに耐えて生きていくしかないんだ。
あゆむはママがこんなこと思ってるなんて悲しむかな。
それとも今は仕方ないって黙って見守ってくれてるかな。
みなさんの宝物がいつも守られますように。
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