祈りとあの日のきらめく空と

初めての出産と、18トリソミーと診断された我が子あゆむのこと。           あゆむは2019.1.24にこの世に生まれ、そしてお空に帰っていきました。     地上で生きる天使ママの日記。

折り返すことはないでしょう。

こんばんは、ナユリゼです。

 

今日から7月、

どうやら今年は折り返し地点に到達したようです。

個人的にはこういうときに「折り返し」という表現を使うのは

ふしぎだなあと思ってますが。

だってなんだか同じところをぐるぐる回っているみたいですよね。

実際は同じ道は二度と通れないのにね。

 

我が息子あゆむは

最近すっかりわたしの人生の一部分です。

いつも一緒にいるような気がしています。

いつも話しかけて会話したいです。

ともに生きてるような気がするし、

そのような感覚で毎日を過ごしています。

あゆむもママになんか言ってくれたりしている感じがたまにします。

 

でも実際には

わたしはあゆむを見ることができないし、

触れることもできないし、

その重みを感じることも成長を目にすることもできません。

未来を楽しみにすることもできません。

周りも今のわたしをママだとは思わないでしょう。

 

一緒にいる、と感じてはいても

あゆむがこの世に生きていないということは知ってます。

 

なのに、

「普通に」赤ちゃんを抱っこして歩いてるママさんや

「普通に」パパママの周りを駆け回ってる子どもたちを見ると

ふしぎでたまらない。

 

わたしは確かにあゆむを授かって、お腹の中で育てて、出産もしたはず。

なのに、

なぜ今わたしの状況は

ああいう「普通」のかけらすらもないのだろうか。

「そちら側」の方が色々リアルに想像もできるんですよね。情報も多いし。

わたしは今体験中であるにも関わらず、

「こちら側」を全然想像できないの。

 

辛いとか悲しいとか妬みとかそういうのではなくて

ただただ、ふしぎでたまらない。

はて、なぜだろう。

なぜわたしは今ああではなく、こうなんだろう。

何がわたしをああではなく、こういうふうにしてしまったんだろうか。

そしてこういうふうなわたしはいったいどうするのが正解なんだろうか。

望むとしたら、何を望んだらいいのだろうか。

 

そこに感情があるとすれば

羨望

これに尽きます。

いいなあ

羨ましいな

まぶしいなあ

 

わたしも同じところを普通に歩いてきたはずなのにな。

 

わたしはもう二度と

「折り返し点」

という場所に立つことはないだろう。

 

それがいいことなのか悪いことなのか

どうなるのが一番いいのか

わたしにはわからないし、特に知りたくもありません。

少なくとも今は。

 

 

みなさんの宝物が守られますように。