祈りとあの日のきらめく空と

初めての出産と、18トリソミーと診断された我が子あゆむのこと。           あゆむは2019.1.24にこの世に生まれ、そしてお空に帰っていきました。     地上で生きる天使ママの日記。

彼との日々を話したい。

こんばんは、ナユリゼです。

 

ちょっと変わってるのかもしれませんが、

わたしはあゆむのことを

亡くなった、ということも勿論含めて

機会を見つけたらすかさずお話しすることにしてます。

(※一応、研ぎ澄まされた野生の勘で、相手は注意深く選びます)

(※※なおかつ、話をしてみて相手の反応が微妙だったら、何事もなかったように別の話題にシフトします)

(※※※相手の反応が微妙でもうまくやれば行ける!と感じた時はもう一歩進めて様子を見ます。)

 

だって、

わたしがあゆむを産んで、

あゆむがその後数時間頑張って生きて、

そして亡くなってしまったこと。

それは全然隠すようなことではないし、

むしろしっかり生まれて生き切ったことを

胸張って誇るべきことなのです。

 

それに今あゆむの話をするのは

わたしにとって日常そのもの。

他のみなさんが自分の子どもや旦那さんやお友達の話をするのと同じ、

という認識なのですが・・・(わたしは)。

 

まあ、話を聞く側からすると

ついつい

「特別不幸な可哀そうな、どう反応したらいいか難しい話」

かと思って身構えてしまうのは理解できる。

 

でもわたしはあきらめませんよ。

あゆ活を頑張ります!

あゆ活とは、上記の※の部分です。

要はあゆむの話を普通に楽しく出来る相手を地道に増やす活動のことです。

今作った(笑)

というか※の使い方たぶん間違ってるよ?

 

 

しかし、わたしのあゆ活が成功した知人に

つい調子に乗って

あゆむがこう言ってる(と思う)

あゆむが見てた(と思う)

という断定形で言い過ぎたせいか

「えっ?分かるんですか?」

と言われた。

 

 

 

うーん・・・・厳密には

「いやわかりません」

と言うしかないんだけど、

それももやもやするなあ。

 

だって、わたしは「わかる」のです。

誰が何と言おうと

「あゆむだ!」

と感じるのです。

 

そういう存在感があるのだと思っています。

 

あゆむだ!

と感じたい【こじつけ】かもしれません。

あゆむだ!

と思いたい【妄想】かもしれません。

 

でもね、

あゆむがそこにいるかいないか、

それが本当か、

それが分かるのか、

ってことは

そんな重要なことなのかな?

とも思います。

少なくともわたし以外の人にとって。

 

 

あゆむのことを話したい。

わたしにとってはそれは

とても自然なこと。

 

わたしは

あゆむのことがもう見えません。

あゆむの声がもう聞こえません。

あゆむの身体にもう触れられません。

あゆむの匂いも全然わかりません。

 

けれども

他の人が気にも留めないようなことを

わたしは「あゆむだ!」と思うのです。

 

それもまた

あゆむと一緒に生きる

ということなのかな、

と感じています。

 

周りの方の気持ちもよーくよーく考えて

細心の注意を払いながら

あゆ活がんばります!(笑)

見ててあゆむ!(*^▽^*) 

 

 

みなさんの宝物がきっと守られますように。