祈りとあの日のきらめく空と

初めての出産と、18トリソミーと診断された我が子あゆむのこと。           あゆむは2019.1.24にこの世に生まれ、そしてお空に帰っていきました。     地上で生きる天使ママの日記。

亡くなった赤ちゃんといっしょに過ごす。

こんにちは、ナユリゼです。

 

あゆむが生まれて、そしてお空へ旅立ったすぐあと、

とくに、帝王切開後のためまだ入院中だった時のことを

この頃良く思い出します。

ほんの3か月前のことなのに、時間の感覚がおかしくて

別の人生に飛んできたような気さえすることがあります。

 

出産後は本当なら母子同室で、術後の体に鞭打ちながらも

あゆむの世話をせっせと焼いて、過ごすはずだったあの入院の日々。

そのはずだったわたしは

毎日病院のベッドで横になって規則正しい時間に寝起きして、

きちんきちんと出される3度のごはん(産後なので量多め)を

毎回泣きながら全部咀嚼して飲み込んで、

順調に回復していきました。体だけは。

 

最初は驚きましたが亡くなった赤ちゃんとも母子同室OKの病院だったので、

一週間の入院中、ずっとあゆむと一緒でした。

あゆむはわたしのベッドの隣に置かれたコットの中で

まるで眠っているかのような安らかな表情で、

けれどもピクリとも動かず、声も出さず、目を開けることもなく、

ただ大切なお人形のように可愛らしく、そこに存在していました。

 

あゆむはおっぱいも飲まない。泣かないし目を開けないからあやす必要もない。

おしっこもうんちもしないからおむつを替える必要もない。

 

なのにわたしは隣でごはんを食べて、眠って、

傷をかばいながらもトイレに行ったりシャワーを浴びたりして。

 

なにやってんだろう、わたし。

と思ってました。

思いつつもその全てを生真面目に毎日行い続けました。

なぜなのか、なんてことを考えてはいけないことを本能で悟っていました。

でも自分の中では色々と矛盾しているからなのか、

ごはんを食べていたり、横になっていたり、トイレやシャワーに行ったりすると

いつも涙が出ました。

そして、戻ってきてあゆむに話しかけて抱き上げると、

あゆむはやっぱり安らかな顔をして、ピクリとも動きませんでした。

 

そんな中で

「あゆむくんにしてあげたいことがあったら言ってくださいね」

と看護師さんたちに言われても何も思いつかなかった。

何をしてあげたってあゆむはもう動くことはないのだし、

何も感じることはないのに、って。

その子に「何かしてあげた」としてもわたしの自己満足だよ、と。

 

でも、そんなことはとても言えなかったし、自己満足だとしても

せめて何かできないか、という気持ちもあり、

看護師さんが提案してくれたことを色々やらせてもらいました。

・抱っこ

・添い寝

・搾乳した母乳を口に含ませる

・沐浴

・屋上までお散歩に出る

・折り紙を折ってあげる

・絵本を読んであげる

・可愛いお洋服を着せてあげる

・おむつを替えてあげる

・保湿剤を塗ってあげる

・手形足形を取る

・できるだけたくさんの人に抱っこしてもらう

・名前をたくさん呼ぶ

などなどなど

 

これらのことをやらせてもらって、あゆむがもっと愛しくなって、

でもそれでも

「自己満足」

という言葉が心の中から消えなかった。

あゆむのためにやっていることじゃない、

わたしのためにやっていることでしかないじゃないか、と。

それも苦しくて、

入院中は本当に良く泣きました。

 

振り返ってみると、

いろんなことをやらせてもらって本当に良かったな、と思う。

確かに自己満足だったのかもしれない。

確かにあゆむにとっては特に現実的に必要なことは何もなかった。

でも、少なくとも

あゆむがこの世に生まれてくれた象徴たる「あゆむそのもの」を

心も体も使って慈しむことが出来た

ということは間違いないよ、と最近は思うのです。

 

すべて「生きている赤ちゃんが快適に愛情を受けて成長していくために必要なこと」ばかりだったから当時のわたしは素直に受け止められなかったのです。

「生まれたことを喜ぶ」というただ一点だけで、わたしはすべてのことをとらえればそれでよかったんだな。

それはわたしからあゆむへの祝福であり、

それによってわたしの感じた暖かくて愛しい気持ちはあゆむからわたしへの祝福だったのだろう、

ようやくそう思えるようになりました。

 

だから、あゆむが今でもこんなに愛しい。

あゆむもきっとそう思ってくれている、と信じられるのです。

それはわたしにとってもあゆむにとってもかけがえのないこと。

あの時間は本当に大切な時間だったし、

その時間を与えて下さった病院の方々に感謝でいっぱいで、

今こういう心境でいられる自分のことを幸せだとも思うのです。

 

みなさんの宝物が永遠に守られますように。