祈りとあの日のきらめく空と

初めての出産と、18トリソミーと診断された我が子あゆむのこと。           あゆむは2019.1.24にこの世に生まれ、そしてお空に帰っていきました。     地上で生きる天使ママの日記。

全力疾走のいのち。

こんにちは、ナユリゼです。

 

ここしばらく記事の末尾に

「つづく」

を付けすぎて長くなったので(^_^;)

少し経緯をまとめてみようかと思います。

 

 

わたしの切なる願いを聞いて懸命に産声をあげてくれた、親孝行息子のあゆむは

妊娠36週の時点になったときに

18トリソミーという染色体異常の可能性が高いと診断されました。

(確定診断は産後にしてもらう予定だったため、あくまで「可能性」)

 

この病気は諸説ありますが、4000人~10000人に一人?と言われ、

しかもおなかの中で亡くなってしまう可能性も高く、

出生にまで至る子は6%ほど、

さらに生後1日で亡くなる子が1割、一週間で半分、

一か月生きられる子は3割ほど、

と妊娠36週のわたしは説明を受けました。

ただし、もちろん個人差はあり、

何年も生きることができる子も20人に1人くらいはいらっしゃるとのこと。

その場合、日常の医療ケアは必須となります。

 

わたしのあゆむはこの世に生を受けることはできました。

当面の目標としてわたしが立てていたことは

これでクリアできた。

本当に涙を流す以外の表現法が見つからないほどに嬉しかったです。

 

けれど、

目標が達成されたことで、やっぱり次への欲が出てしまいます。

 

あゆむに生きてほしい。

どんなに大変でも頑張るから、

そばにいて一緒に生きていてほしい。

何か方法があるならば、

それにすがりたい。

生きていくあゆむを見ていたい。母として寄り添いたい。

 

 

そう思ってしまいました。

強く願わずにはいられなかった。

それが親のエゴだと言われればそれまでですが、

願わずにはいられなかった。

 

でも、

今あゆむの命は生きるか死ぬかの瀬戸際で

ゆらゆら揺れ動いているという。

生きていてほしいと願っているのに、

少しでもそばにいたいということも願ってしまう。

 

わたしは結局

いちかばちかの医療技術の可能性よりも

あゆむのそばに最後までいよう

という気持ちのほうを優先させることを選びました。

 

あゆむは

わたしの願いと決断によって、NICUから病室へと連れてきていただけて、

いわゆるカンガルーケアっていうんでしょうか、

わたしの胸の上で一生懸命頑張って数時間を過ごしました。

わたしの両親にも会ってもらって、

なでたり話しかけたりしてもらえて、

4人で写真も撮ってもらえたり。

本当にわたしはとても幸せだった。

あゆむがここにいてくれること。

 

苦しそうなあゆむを少しでも助けるため

吸入酸素濃度を上げてもらったりもしましたが、

あゆむはその日の日付が変わらないうちに、

徐々に呼吸も心臓も止めて、

静かに天国へと旅立ちました。

わたしの胸の上で。

 

とてもとても可愛くて可愛くて、

抱っこしているのが幸せすぎて、

苦しそうなあゆむに何もしてあげられないのがもどかしくて、

今起こっていることすべてが

現実のこととは思えなかった。

でも現実のことだとわかってもいました。

 

あゆむ

わたしのところに来てくれて、

こんな気持ちにさせてくれて、

苦しくても頑張り続けて、

本当に偉かったね。自慢の息子だよ。

ありがとう。大好きだよ。

 

そう伝えるだけでせいいっぱいだった。