祈りとあの日のきらめく空と

初めての出産と、18トリソミーと診断された我が子あゆむのこと。           あゆむは2019.1.24にこの世に生まれ、そしてお空に帰っていきました。     地上で生きる天使ママの日記。

客観的?心理的近況。

こんばんは、ナユリゼです。

 

世間は3連休でしたね。

わたしは現段階で産後3週間弱しか経っておらず、

本来は余裕もないほど世話に明け暮れるはずだった赤ちゃんも

天国に行ってしまってこの場にはいないため、

ずっと家の中で何もせずに過ごしており、

旦那さんもいないため毎日社会と家とを行き来している人もおらず、

よって日付の感覚も曜日の感覚も全くないのでした。

3連休にも当然なんの関係もありません。

 

まだ、あゆむが生まれてからそれだけしか経っていないのか、

という気持ちと、

お別れしてからそれだけしか経ってないのか、

という気持ち。

なんだか自分がもうすっかり老け込んで、

何年も何年も時間が過ぎてしまったような気がします。

 

たまにテレビを付けて、笑ってみたりとか、

あれ、わたし元気だなあ、

この分だと産後休暇の8週間過ぎたら

普通に何の問題もなく

仕事に復帰できそうだよね、

と思う。

その反面、

急に

どうしてあゆむはここにいないんだろう、抱っこすらできないんだろう

と思って涙がボロボロ出たり、

これからのあゆむがいないわたしの未来にいったい何の意味があるんだろう、

とぼんやり思ったりなど。

あゆむが今回わたしに伝えに来てくれたメッセージや、

わたしがそれによりやっていくべき行動は何なんだろう、

なんでそれにちっとも気付けなくてわからなくて、

何も動けないんだろう、

と焦る気持ちもある。

ずっと悲しんで泣いていたいし、

社会になんて戻りたくない、ずっとあゆむのことを考えていたい、

というような気持ちもある。

 

一言で言って不安定です。

 

今はまだしょうがない、

とまわりにも思ってもらえるでしょう。

でも、数か月たったらそうはいかないんだろうな、

と想像しています。

すっかり立ち直ったかのように、何事もなかったかのように

ふるまわないといけないんだろうな。

あゆむのこともいつまでお話ししていられるだろう。

いつまでも周りに楽しくお話ししていたい。

あの子の可愛さを、愛しさをお話しして聞いてもらいたい。

なのに、きっとできないんだろうな、

と思うそのことがまた苦しいし悲しいです。

 

 

客観的に見て、今のわたしは興味深い状態だとも思うので、

こうして書いてみたりしています。

時間がたくさん過ぎたとき、これを読んでわたしはどう感じるのかな。

苦しくて切ないけど、優しく思い出せるようになる日が来るのかな。

今はとても想像できないし、想像しなくていいとも思うけど。

 

わたしはいつも

読むことと書くことに救いを見出そうとするタイプの人間なので、

今回もそうであることに

やっぱりな、と思うし

そういう自分なりのすがることのできる手段があって

本当にありがたいな、と思います。

 

今の心境をつらつらだらだらと書いてみましたー。

 

皆さんの宝物がいつも守られますように。