人間より大きな何かの存在 『なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記』を読んで①
こんにちは、ナユリゼです。
最近は縁があるようで
わたくし「ヨブ記」について興味が尽きません。
こんな本を読み終わりましたので、
色々と所感や覚えを書いておきたいと思います。
『なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記』(H.S.クシュナー/斎藤武:訳/岩波現代文庫)
著者はユダヤ教会のラビ(※ユダヤ教の教師)という立場を持ち、
神と世界の善を信じて人生を捧げ、生きてきました。
ところがある日、
まだ3歳の息子アーロンが「早老症」という病である事を宣告されます。
早老症とは老化が早く急速に進んでいく病気で、治療法はありません。
彼の息子は今後も成長はほとんど見られず、
幼いうちから小さな老人のような容貌になり、
そして10代の初めには死ぬだろう、という宣告。
こんな宣告を受けた子どもの両親は、いったいどうすればいいのでしょう。
著者はこの本を書いた理由として
次のように述べています。以下抜粋。
『私は、神を擁護したり、説明しようとしてこの本を書いたのではありません。
(中略)
死や、病気やけが、そして拒絶や失望によって人生に傷ついた人のために、
また、この世に正義があるなら、こんなことが自分に起こるのはまちがっている
と考えている人に読んでもらいたくて、この本を書きました。』
本書のサブタイトルは
現代のヨブ記
となっていますが(邦題のみ)、
読み終わってまさにそうだな、と思います。
ちなみに聖書のヨブの物語はこちら↓
ヨブは多分この世にたくさんいる。
そのうちの「ある一人のヨブ」が導きだしたひとつの答えが
この本の中にあります。
わたしは日本に住んでいて、
特別に信仰している宗教はありませんし、
周りのほとんどの人たちも同様の状況です。
けれども、
あゆむが亡くなったときには無意識のうちに
【こんなことが起こってしまったのには何か理由があるのだ】
という路線で考えてしまうことも多かったですし、
慰めの言葉としてそういったことを口にする人も多いように感じました。
具体的には
「この経験によってより素晴らしい人間になるためにという試練なのでは」
とか
「何かを教えようとしてあゆむくんがお空からお使いで来てくれたんだ」
とか
「乗り越えられる試練しか与えられないはずだからきっと大丈夫」
とか。
これらの発想は明らかに
人間ではない何か大いなる存在があることを前提としているものです。
別に神さまを信仰しているわけではないのに不思議なものですが。
なので、この本も全く抵抗なく、
良く理解して読むことができましたし、
多くの無宗教を自負する日本人もそうなのではないかと思います。
さて、
本書のメインテーマは3つあって、
①なぜ私だけが苦しむのか
②「神」とはいったいなんなのか
③何が苦しむ人を助けるか
それらについてまとめてみようと思います。
が、長くなるので次の記事に分けることにしますね。
というわけで、つづきます。
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