祈りとあの日のきらめく空と

初めての出産と、18トリソミーと診断された我が子あゆむのこと。           あゆむは2019.1.24にこの世に生まれ、そしてお空に帰っていきました。     地上で生きる天使ママの日記。

時間はお薬?

こんばんは、ナユリゼです。

 

しばらく前からずーっと気になってることがある。

 

辛いことがあったときには

「時間がお薬だから」

というようなことを

周りから言われたり本で読んだりしました。

自分でもそうなのだろうな、と思ってました。

それに救いを見出す人がいるのも知ってます。

 

でもですね!!

あゆむが死んでしまってからずっと思ってたんですけど、

 

それは違います。

 

時間は薬なんかじゃないです。

味方でもないし優しくもないし魔法でもないのです。

 

わたしも以前は

 

「時間が解決してくれる」

という文章を信じていましたし、

それを実感したことすらあります。

 

けれども、それは

時間を過大評価しすぎ、というか意識しすぎ、というか。

もちろん状況によってはそれがとても効果を発揮することもあるけども。

 

でも、 

時間は薬ではないのです。

ただ、常に流れている川のような存在。

枯れない泉のような存在。

ある意味人とは全く次元が別なのです。

 

確かに時間が経つことによって

辛い気持ちが和らいだり

傷が癒えたり

関係性が改善したり

ということもあるでしょう。

 

けれども逆に

辛い気持ちが変質して「良くないもの」になったり

傷が膿んだり

関係性が壊れたり

ということも多いと思うんですよ。

 

「時間が薬だった」

と言える人は振り返ったときに

たまたま経過が良くて今の結果も良かった

という人だけです。

 

苦しむさなかに効果も感じられない薬を

「良く効く薬だ!」

などと言える人がどこにいるでしょうか?

たとえ何年も後で効いたとしても

それをその薬の効果だと証明できるかできないか、

という議論をしたからと言って

何になるのでしょう?

その数年分の苦しみはだったらなんだったのでしょう?

そして「効いた」後ですら、

別に完全解決したわけでもないのですからなおさら。

 

 

わたしは

「時間が解決してくれる」

という考え方を全く救いだとは思わなくなりました。

 

 

少なくとも

わたしは絶対に今後

時間が経てば解決する、

というようなことは人にも自分にも言うまい

と思うようになりました。

 

結局、

人が死ぬほどの思いでもがいてもがいて

なんとかするしかないのです。

そんなに頑張らないといけないのに

「時間がお薬だからね」

とか言われてもそもそも頑張るしか選択肢がないのですから

は?いったい何を言って・・・

としか思えません。

 

違う!頑張ったのはわたしだ!

こんなに頑張って、たいして認められなくても

それでも死ぬまで頑張り続けないといけないのはわたしだ!!

 

時間が経てば

慣れていけば

気持ちの整理が徐々につけば

 

と慰めるつもりで言ってくださる人もいる。

でも、

それはあまりにもわたしの苦しみに耐える力とさまざまな努力を

無視した発言に聞こえてしまいます。

 

わたしの心が狭いのかなあ。

だとしてもこの気持ち、覚えておこう。

時間や、神様や、目に見えない色々なもの。

そういうのではなくて、

必死で今の状況と向き合ってなんとかしようとしている、

その人自身をわたしは見たいし、寄り添いたいと思うその気持ち。

そういうのに近い位置にいるとやはりキツいものです。

分かるんだ。

でも安易にありきたりな言葉をかけなくてもいいのに。

 

 

でも、これも後々わたしの宝物になりうるのかもしれない、と思う。

 

みなさんの宝物がどうか守られますように。