祈りとあの日のきらめく空と

初めての出産と、18トリソミーと診断された我が子あゆむのこと。           あゆむは2019.1.24にこの世に生まれ、そしてお空に帰っていきました。     地上で生きる天使ママの日記。

目次的なページ。

こんにちは。もしくははじめまして。

 

ナユリゼという名前でこのブログを書いてます。

わたしは、生まれてすぐの一人息子を亡くした「シングルマザー」です。

第一子でシングルマザー予定 → シングル天使ママ

という境遇の方は当然のことながらあまりおらず、

精神的ケアの概ねの部分を自分でなんとかせねばならず、

気持ちの整理と忘備録のためブログを書くことを思いつき、

現在も継続している次第です。(※2020.2月時点ですでに1年以上継続中)

 

わたしの可愛い可愛い息子は18トリソミーでした。

そのことが分かったのは妊娠36週目のこと。

そこからこのブログはスタートします。

 

 

【カテゴリ説明】

 

☆ 妊娠中 ☆ 

妊娠中 カテゴリーの記事一覧 - 祈りとあの日のきらめく空と

 

 妊娠36週目で赤ちゃんの「異常」を指摘されてからのこと。

なにしろもう36週なのでかえって肝が据わってます(笑)

18トリソミーについてよく調べたのもこの時期。

 

 

☆ 出産 ☆

出産 カテゴリーの記事一覧 - 祈りとあの日のきらめく空と

 

問答無用の出産(帝王切開。一応「緊急」)とその前後のことを出来る限り思い出して綴っています。

悲しみの底の底ですが、幸せもある複雑な感じです。

 

 

☆ 天使ママのグリーフ ☆

https://nayurizeblog.hatenablog.com/archive/category/天使ママのグリーフ。

 

当ブログのメインコンテンツ。

「グリーフ」とは簡単にいうと”悲嘆”と訳されることが多いのですが、

実際はもっと複雑です。

パターンも多岐にわたります。

しかし、わたしは「天使ママであるわたしの」グリーフについて、

後々ふりかえることができるように

できるだけ「その時の自分の正直な気持ち」を綴るようにしています。

 

 

☆ 天使ママの読書日記 ☆

https://nayurizeblog.hatenablog.com/archive/category/天使ママの読書日記

 

死別直後って人と会いたくなくなるので、

ネットや本などに救いを求めがちになります。

(そういう意味ではいい時代です(^^))

わたしは普段から本に傾倒しがちな人間なので、

一般的に「天使ママ」に紹介されがちな本以外に

もっと何か(今のわたしに合うもの)ないのかな?

といつも思ってました。

 

まあ、読書って

「その時読んだ人の状況や状態」によって

受け取り方も違ったりするので

天使ママ的読書感想(※ナユリゼ的)

を紹介してみるのも楽しいかなあ、と思って更新してます。

 

 

☆ 感じたこと・思うこと ☆

感じたこと・思うこと。 カテゴリーの記事一覧 - 祈りとあの日のきらめく空と

 

日常の中の「感情寄り」なことを書いてます。

 

☆ 日常のおはなし ☆

https://nayurizeblog.hatenablog.com/archive/category/日常のおはなし。

 

日常の中の「できごと寄り」なことを書いてます。

 

☆ あゆむへおてがみ ☆

https://nayurizeblog.hatenablog.com/archive/category/あゆむへおてがみ。

 

あゆむへのおてがみです。

あゆむへの気持ちを一直線に出すようにしてます。

 

 

 

 

これからもぽつぽつと書いていく予定です。

 

みなさんの宝物がどうか守られますように。

 

 

2年め。

こんばんは、ナユリゼです。

 

あゆむの出産予定日(2019.2.13)から一年が経ちました。

まだ1年?!と驚愕の思いです。

 

天使ママの一年は長い。

特に初年度は。

 

生きて生まれることが出来なかった赤ちゃん、

生まれてきたのにほんの短い時間しか生きられなかった赤ちゃん、

その赤ちゃんたちを「天使」と呼んで、

お母さんたちのことを

「天使ママ」

と呼ぶことがあります。

 

自分を

「我が子を亡くした女性」と思うよりは

「天使ママ」と思ってる方が断然うれしい。

【わたしはあの子のママ!】

といつでも思える魔法の表現です。

あゆむを亡くした当時は全く気づいていませんでしたが、

この一年、この考え方にとても助けられてきました。

 

当然のことですが、

我が子とのお別れからの歩みは

天使ママそれぞれひとりひとり、

全くちがいます。

 

わたしに関してですが、

とにかく我が子あゆむとの関係性を築き上げてきた一年でした。

 

この世にいない子との関係性??

と人には不思議に思われるかもしれませんが、

わたしはひたすら毎日あゆむに話しかけ、

あゆむとともに空や月や星や花を眺めて喜び、

辛い気持ちのときはあゆむに愚痴って慰めてもらい、

あゆむはこういう時なんて言うかな?と想像しながら過ごしてきました。

 

今、わたしはあゆむととっても仲良しだし、

毎日一緒に暮らしています。

少なくとも【そういう感覚】でいる。

 

「あゆむくん、きっといつも見守ってくれてるね」

と言ってもらうこともあり、嬉しいのですが、

わたしとしては

でも違うのになー、一緒に暮らしてるんだけどなー、

と不思議な気持ちだったり。

 

ちなみにわたしには特別な”霊感”のようなものは一切ないです。

あゆむの姿は見えないし、声も聞こえない。

本当に一緒にいてくれているのかもわかりません。

証明もできません。

 

ということは逆に

一緒にいない、ここにはいない、

ということを証明する手段も何もないですよね?

だからわたしは信じているし、あゆむがいると感じてもいます。

あゆむがいつでも可愛くて可愛くて仕方がありません。

 

でも、

この気持ちに至るまでは本当に筆舌に尽くしがたい思いの連なりでした。

長い長い長い長い1年だったと思います。

まだたったの1年。

この先のわたしの人生のうちの、たったの1年。

 

 

 

 

悲しみは、本当にいつまでも消えることはない。

すでに悲しみは、

わたしの中の中核の部分にすとんと嵌ってしまったようです。

血肉となってしまった。

 

天使ママは2年目を今こうして歩いてます。

ベースは「悲しみ」、でも他にも色々複雑ブレンドな中核をもって。

でも、あゆむがいるので悪いようにはならないだろうと思ってます。

 

あゆむ、これからもこんなママをよろしくね。

ママ、がんばってるよ。

 

 

 

 

 

 

 

みなさんの宝物が守られますように。

 

 

 

 

 

 

氷と闇夜のこと(『花と流れ星』(道尾秀介/幻冬舎文庫))

こんばんは、ナユリゼです。

 

こんな本を読みました。

『花と流れ星』(道尾秀介/幻冬舎文庫

花と流れ星 (幻冬舎文庫)

花と流れ星 (幻冬舎文庫)

 

 本作は

「霊現象探求所」という事務所を構えている真備(まきび)、

その助手で、死んでしまった真備の妻の妹でもある凛、

真備の友人で、売れないホラー作家の道尾、

の3人を中心として様々な「事件」が起こる、連作短編集です。

 

元々はこの本の前に2作、長編があるのですが

わたしはそれを知らずに本書を図書館にて見つけて読了。

(前作を読んでいなくても十分に理解でき、楽しめます)

前2作はホラー色が強めらしいので、

個人的にはこの3冊目から導入できたのはラッキーだったように思います。

登場人物の魅力が存分に感じられたので。

 

ちなみに1作目(著者デビュー作)と2作目はこちら↓

そのうち読むぞ!

 

背の眼〈上〉 (幻冬舎文庫)

背の眼〈上〉 (幻冬舎文庫)

 
骸の爪 (幻冬舎文庫)

骸の爪 (幻冬舎文庫)

 

 

 

本作はミステリーの分類に入ると思うのですが、

人の気持ちを非常にていねいに描いているところが好感が持てます。

とてもやさしい。

傷ついている人の気持ちをきちんと受け止めて、

でも無意味に甘やかしすぎない。

 

著者にはきっと

深い悲しみときちんと向き合ってきた経験があるのではないかな

と感じます。

 

結婚したばかりの妻を交通事故で喪った真備と

同様に祝福したばかりの姉を喪った凛、

二人の間にはある共通の思いがあり、

それが本書の最後の一篇『花と氷』で描かれます。

 

凛が、大切な友人の結婚式に招かれる。

真備はそれを「楽しんでおいで」と見送る。

凛のモノローグを引用すると、

 

『結婚式や披露宴で微笑み合っている二人。幸せそうな若い夫婦。そういった人たちを見ると、祝福する思いの片隅に、ある別の感情が転がっていることに気づいてしまうのだ。それは冷たい、一粒の氷のような思いだった。

どうして世の中には幸運と不運があるのだろう。どうしてこの人たちばかり幸せなのだろう。どうして不運は、姉や真備を選んだのだろう。

姉が死に、真備との短い夫婦生活に唐突な句点が打たれてから、もうずいぶん経つ。なのに、胸に転がったその氷をいつまでも取りのけることができずにいる自分が、凛は哀しかった。』

 

ああ、

わたしはこの気持ちを知っている。

そう思いました。

 

あゆむが亡くなったあとしばらくは

どころか

氷山

というくらいのそんな気持ちがありました。

 

そして今わたしはこの本の最後にあった、こんな文章と

似たような心境でいます。

 

『過ぎていく時間と足並みを揃え、思い出は徐々に遠ざかっていく。そんな毎日の中で、胸にたくさんの花を咲かせて暮らしている人もいる。いつまでも溶けない氷を哀しんでいる人もいる。(中略)

どちらがいいとは、きっと言えないのだろう。花は綺麗だけど、氷だって大切な思い出の証だ。捨てずにゆっくり溶かしてやれば、だんだんと水に変わってくれる。

その水で、花も咲く。』

 

氷はたぶん、完全に溶けることはないんだと思う。

けれども溶けた分の水はものすごい栄養を含んだ水で、

きっと綺麗な花が咲くだろう。

 

花も流れ星も綺麗だ。

いくつも咲き、いくつも流れる。

けれども深い思いがあれば、

そのたったひとつも特別になる。

 

 

 

みなさんの宝物が守られますように。

 

 

 

 

我が子へおてがみ。魔法の靴のこと

HAPPY BIRTHDAY♡あゆむ!

1歳のお誕生日おめでとう!!✨✨✨

あゆむがママのところに来てくれて1年。

本当に本当に、

ママのところにあゆむが来てくれたのが

とっても幸せだな、ってつねづね思っています。

大好きだよ、あゆむ~。

 

ママはこの日をあゆむと一緒に過ごすのを

とっても楽しみにしてました。

プレゼント、気に入ってくれたかしら?

前々からあゆむには予告していたけど、

がんばって、あゆむの靴を作ったよ。

あゆむももう1歳だから、

たーくさん歩けるように、

あんよが痛くならないように、

布選びも厳選して、

天使のブティックで作ってるお洋服みたいな

触るときもちいい、やわらかい布を使ったよ。

履き心地、どう?

 

この靴はねー、

なんと魔法の靴なんです!

この靴を履いて歩くと

あゆむはどこにだって自由に行けるの。

どこまででも行けるし、疲れないの。

そしてね、

歩けば歩くほど、

あゆむの幸せパワーが増えていくのです!

すごいでしょ?

ママが好きなゲームに出てくる、

「幸せの靴」

みたいでしょ?

でもね、あゆむの靴は

それよりももーっとすごいんだから!!(*^▽^*)

 

お誕生日だからちゃんとしたケーキがいいね、

と思って一緒にお買い物に行ったけど、

どうもピンとくるのがなかったよね。

ママはね、

あゆむのバースデーケーキには

生クリームといちごが使ってあって、

しかもショートケーキじゃなくてもっとちゃんとした、

カットしてあるやつじゃないもの!

と思ってたけど、

生クリームといちごのはどのお店のもショートケーキ。

もしくは

ママとあゆむだけじゃとても食べきれないような

大きな丸いケーキ。

 

どうしよう、

と思ってうろうろしてたら、

あゆむが見つけてくれたね。

生クリームといちごが使ってあって、

ショートケーキじゃなくて、

カットしてない「1つのケーキ」で、

ママとあゆむでも食べきれそうなのを。

 

その名も「純白のロールケーキ」。

 

ロールケーキって、その手があったか!と思ったよ。さすがあゆむ。

しかも最後の1個だった。

 

購入しておうちに帰って

あゆむのところにケーキを置いて、

良かったねー

ってお話ししてたら

メールが来て(※ママはガラケーユーザー)

開いたら占いサイトのメルマガだった(笑)

読まずに消すことが多いんだけど、

なぜかその時は読んでみたら、

「あなたにとても綺麗な純白のお手紙が届いていますよ。

白には”素直”とか”純粋”といった意味があります。

また、”新しく始める”という意味も強いですからね」

と書いてあって、

「おお、あゆむ!(*´▽`*)」

と思ったよ(笑)

 

ママからの魔法の靴のプレゼントのお返しに

あゆむからママへのメッセージなのかしら。

 

あゆむは魔法の靴を履いて、

ママはあゆむからの魔法を受け取って、

時々手をつないだり笑ったりしながら

一緒に歩いていこうね。

あゆむはその靴でどこにでも行けるのだから、

どこにでも行きたいところにどんどん行きな~

ママは残念ながら地上にしかいられないから、

普通の靴で歩いていくよ。

たとえ裸足でだって歩いていけるよ。

歩けるのって幸せなことだね、あゆむ。

 

 

ママの作った靴を履いて歩いてるあゆむを

思い浮かべるだけで可愛すぎて

顔がにへら~となります。

あゆむか~わ~い~い~////////

LOVEあゆむ!!!

 

またね!

 

 

愛と祝福をこめて

ママより

 

 

 

 

 

 

 

感情アンコントローラブル 『偽善入門』(小池龍之介/小学館文庫)

こんにちは、ナユリゼです。

 

こんな本を読みました。

 

『偽善入門』(小池龍之介/小学館文庫)

偽善入門 (小学館文庫)

偽善入門 (小学館文庫)

 

 この本は現役のお坊さんが書いた本で、

この前に

『考えない練習』という本と

『苦しまない練習』という本があります。

特に一冊目の『考えない練習』は話題になった本なので

ご存じの方は多いと思います。

わたしは上記2冊は未読。

でも、どれもテーマが非常に興味深いので、後日読んでみようと思う次第。

考えない練習 (小学館文庫)

考えない練習 (小学館文庫)

 
苦しまない練習 (小学館文庫)

苦しまない練習 (小学館文庫)

 

 

で、今日は3冊目の

『偽善入門』

です。

 

偽善

 

この言葉や

そのように見える言動などに

非常にフクザツなひねくれた思いを抱いてた時期が

結構な長い期間、存在してたなあ・・・

としみじみ。

 

わたしはここ数年はすっかり

”偽善肯定派”

になりましたので、

本書についても割と抵抗なく読み進めることができました。

少し引用しますと、

 

『この世の中にはほぼ99.999パーセント、偽善しか存在しないからです』

 

と言い切られることにむしろ安心するし、

 

『「なるほど、世の中にあるものは偽善ではあるのだけれど、その中には純粋な善の心が10パーセントしか混じっていない偽善もあれば、純粋な善の心が30パーセントは入っている偽善もあれば、50パーセントほどは純粋な善の心から成り立っている偽善もある」ということに目を向けてゆくほうが有益ではないでしょうか。』

 

と言われることにも楽しくなったりします。

 

テーマが抽象的なものですし

著者が仏教の僧侶ということもあって、

できるだけ身近な話題や例をあげ、

宗教色を出来る限り出さず、

丁寧に「偽善を理解し上手に使う」ということを説明しているので

随分まだるっこしいなあ、と思う部分もありましたが、

その分とても誠実さと優しさを感じました。

そして人間臭さも。

 

 

 

思うに、

偽善の中の善の部分を素直に受け入れられるかどうかって

その時の心の状態が大いに関係している。

勿論、生まれた時から今までに積み重ねてきた経験による

考え方のクセ

みたいなものは当然ベースとしてあるとは思うんですが、

酷く落ち込んでいたり

傷ついていたりすると

善の部分を受け入れる余裕がないばかりか、

残りの偽(悪)の部分に

これ以上貶められたり傷つけられたりすることが

例え「可能性がある」というだけのことだとしても

極端にこわい。

 

「そんなの偽善だ」

と毛嫌いするような状態になっているときは

自分が弱っている部分がある、傷ついている部分がある、

ということだというバロメーターにもなるんじゃないかな、

と感じました。

 

まあ、そういうときにそのことに気づくこと自体、

かなり難しいとは思うけども。

 

 

 

 

 

わたしはあゆむが亡くなった後にも

そして今でも

周りの人から気遣いの言葉や、それとない思いやりの行動を

沢山貰っていると思います。

 

だけど、悲しくて

絶望の底にいるときには

とてもそんなの受け止められなかった。

 

「なんにも分からないくせに適当なこと言って」とか

「自分の周りに暗い人がいるのが嫌なだけでしょ」とか

よくもまあ、そんな発想湧いてくるな(笑)と思うくらいに

偽善の「偽」の方を見つけ出そうと敏感に反応し、

警戒してヤマアラシのように全身にトゲを逆立てていた。

 

今ではそんなこともほぼなくなったし、

「偽」の部分を構成する、その人の個性だとかおちゃめさ・したたかさなどを見つつ、

楽しい気持ちで「善」の部分を受け取れるようになってきてる。

 

そして、脳内でヤマアラシのように怯えてトガっていた、

ほんの少し前の自分のことも

愛しいな、って思います。自分のことなのに変だけど(笑)

 

 

そうやって自分の経験も思い起こしながら本書を読んだので、

内容が自分の中に落とし込みやすかったです。

 

本って、読んでいるときの状態が非常に重要だー、

と改めて思いました。

また違う状況のときに、もう少し年を重ねてからこの本を読めば

また得るものも違うのだろうと思います。

 

それが読書の楽しみのひとつ♪

 

 

ところで本書は見出しや小見出しが非常に多いのですが、

それらがなんかおしゃれで好きです。

著者はたぶんこういう言葉遊びみたいなのが好きなんだろーなー、

とニヤニヤします。まるで椎名林檎のアルバム曲タイトルのようだ。

「脳内ストーリー正当化ツール」とか

「偽善果汁パーセント」とか

「感情アンコントローラブル」とか

「偽善クールビューティ」とか(笑)

素敵!

 

しかもここまでやっといて、

最終見出しは

 

「空(くう)」

 

という仏教用語の1文字で静かに落とす。

(しかも本文は1ページで終わらせる)

 

おしゃれだー✨

 

やっぱり他の著作も読もう!

まずは見出しチェックだ!(笑)

 

うん、読書はほんと色んな楽しみがありますね。

 

 

 

みなさんの宝物が守られますように。

 

恋する女のつみかさね。

こんばんは、ナユリゼです。

せっかくお休みなので、

部屋の片づけをして、あゆむにお話しをして、

ゆっくりしながら、色んなこと考えたりしてました。

贅沢な時間だわー。(*´ω`*)



年明け早々にちょっとテレビを付けてみたら
剛力彩芽ちゃんが出ていました。

彼女の去年までの恋愛模様は日本ではそこそこ有名ですので
あえてここに書くようなことはしませんが、
わたしは今の彼女を見て、とても驚きました。

何にって、
彼女が「まったくスレていなかった」からです。
良い意味でも悪い意味でも。

彼女は確かにまだ20代で若いですが、
それにしても・・・なんだか小さなこどもみたい、というか
穢された感じが全然ないなあ、と感じた。
それは今後も彼女の強みであり、なおかつ弱みでもあり続けるだろうなあ、と。
見ていてすごく思いました。
彼女の周りにいる人たちは、
きっと彼女が可愛くて心配で、仕方ないだろう。


若い時の恋愛で、
相手が「格上」だったりすると
(単に年齢が上だったり、自分の苦手なことができる人だったりするだけでも)
「女の子」って妙に影響受けすぎちゃって、ちょっと変になることありますよね。
周囲にそういう子がいると、
見ている側はなんとなく不安な気持ちになります。


親しく付き合う人の影響を受ける、っていうのはある程度当たり前です。
でも、対等ではない恋愛関係の中でそれが見受けられるのは
非常にあやういものを感じてしまうのです。
まだ未熟な、自分を持ってない人間が、他の人間に支配されていく、
というような嫌な不快な、
ある意味では他人事でもないような、
怖い感じ。

だからわたしは
ちょっとだけ今後の彼女の動向に興味を持っていたりします。

恋愛って
別にしなくたって死にゃあしない性質のものです。
むしろ
しないほうがきっとらくちんな人生を送れるんだろうなあ、
とすら思います。

けれども、
ただ一人の、愛してやまない誰かがいれば
もしくはその経験があれば
それだけで強く生きていけてしまったりもする。

自分が好きで一緒にいて、
楽しい思いをいっぱい共有出来た自覚があって、
しかも相手もそれを表現してくれて、
だったらそれは宝だから、
いいんじゃないの、と思う。

 

 

こういう経験を

芸のこやしに、とか踏み台として次のステージに、

とか

そういう考え方は

ある程度したたかになってからでないと

なかなか出来ないものです。(笑)

 

剛力さんも、たぶんまだそういう考え方はできないだろう。

だからこそ、

なんだかエールを送りたくなりました。

 

積み重ねていくことで、

いつの間にかしたたかに強くなっていく女たち。

頼もしくありません?

 

男たちはどうなんだろうなあ。

わたしにとって男の人はかなり不思議な存在です。

他ならぬあゆむのことも、とても不思議。

 

 

 

 

 

みなさんの宝物が守られますように。

ニーゼロニーゼロ

こんばんは、ナユリゼです。

昨年は

 

あゆむ

祖母

伯父

とわたしにとって近しい親しい肉親が3人も亡くなったので

わたくし今年は喪中です。

なので新年のご挨拶は控えさせていただきます(__)

 

けれどせっかく「新年」で

せっかく「2020」といういい感じの数並びですので、

新しい一歩を踏み出したいな、と感じています。

 

なんでも一説によると、

「2」という数字は

相反するものを受け入れ、選ぶ(悩む)もしくはバランスを取る。

「0」という数字は

一度すべてが終わった後の無限の可能性。

を意味すると言います。

へえー!

 

この2つの数字から出来ている2020年という年は

なんだかシンプルかつ可能性に満ちていて、

そう考えるとわくわくするような感じがしませんか?

 わたしは今ちょっとそんな感じです。

 

 あゆむのいない今

をよりいっそう強くかみしめてしまい

どうしたらいいのかわかりません。

 

でも

どうしたらいいのかわからない

考え抜いて、自分の気持ちと素直に向き合って、

その上で感じるのならば

それに従おうとも思ってます。

 

 

 

去年わたし自身があゆむの名前の由来を日記に書いていて、

ああ、わたしぶれてないな、

と思いました(笑)

 

日記でそういうの確認できるの、いいよね。

逆もまたしかりでしょうけどね。

 

 

 

 

みなさんの宝物が守られますように。