祈りとあの日のきらめく空と

初めての出産と、18トリソミーと診断された我が子あゆむのこと。           あゆむは2019.1.24にこの世に生まれ、そしてお空に帰っていきました。     地上で生きる天使ママの日記。

死してなお愛を育め。

こんばんは、ナユリゼです。

 

最愛の息子あゆむが亡くなってから心の支えにしたこと、

それは

 

いつかわたしが天寿を全うしたときには

必ずあゆむが迎えに来てくれる。

だから人生の最後にはわたしはまちがいなく幸せである。

 

ということ。

 

今でもこのことを心の支えにしてるのは変わりがありませんが、

当時よりも必死になってすがりついてはいないかな・・・

「早くあゆむのところに行きたい!」

っていうほどではない。でも、

「なんとしてでも生き抜くんだ!生きていくんだ!」

というほど足踏みしめて立ち上がった感じでもない。

 

与えられた命の分だけ生きるしかないですものね、了解いたしました。

 

という感じが一番近いだろうか。

ある意味さとりを開いたのかもしれないぞ。

 

 

 

わたしがいつになるかは分からないけど、死を迎えたときに、

あゆむに会えるし、

あゆむは楽しみにして、だからそれまで頑張れって応援してくれてる、

って思って生きるのは結構幸せなことだな、と思います。

 

でも時々思うんですが、

わたしがずいぶん長生きしてよぼよぼのおばあちゃんになってから

命を終えたとしたら、

あゆむと会うとき、わたしはおばあちゃんのままなのだろうか??

そしてあゆむはそのとき、赤ちゃんのままなのだろうか??

 

わたしは赤ちゃんのあゆむしか知らないけど、

たぶんこの先毎年あゆむの誕生日を祝って、

その成長っぷりを想像したりすると思うしなあ。

 

えー、なんかいろいろ微妙だなあ~

ていうかやだやだそんなの!!

 

・・・と思うので、

どうかわたしが天に召されたときは、

あゆむがこの地上でママに出会った時と同じ状態に戻れるといいなあ。

ママはもちろんあゆむを産んだときの年齢で、

あゆむも0歳の新生児からスタートね。

 

そして今度こそは

あゆむの夜泣きに悩みながらも

おっぱいあげたりおむつ替えたり抱っこしたりして、

思う存分可愛がって育てていくんだ。

ママとあゆむのふたりのおうちで暮らして、

あゆむの成長を見守って幸せに過ごすんだ。

大きくなってきたら、いっぱいおしゃべりもしよう。

ふたりでたくさん笑って、ときにはケンカしたりもしながら、

一緒に過ごそう。

 

そんなことを考えて、

あんまり幸せすぎて涙が出ちゃったりします。

 

でも実際どうなんだろうか、命を終えた後ってどうなるんだろ。

わたしは特に何の宗教にも属してはいませんが、

あゆむがいなくなってからは

良く死後のことを考えるようになりました。

それはそれで良いことかな、

とわたしは思ってます。

少なくとも、

いつか誰にだって必ず訪れる「死」というもののことを

比較的自然に考えることが出来てるってことだから。

「死」って

やっぱり残されたものにとって

とても辛く悲しいことが多いものなので、あまり考えないようにしてるけど、

でも、本当はそれってすごく不自然なことでもあるんですよね。

 

わたしは今も愛する人たちの死が怖い。

怖くてたまらない。

でも、誰しもが必ずいつか死ぬのだ、

ということをどこかで意識しておこう、と思うのです。

 

生きることも死ぬことも愛することも悲しみも恐怖も

ぜんぶつながっていて境目なんて気にするものではないのかもしれない。

ま、そこまでは悟りきれないですけどね。そりゃあさすがに一生ムリだ。

今は生きているし、愛しているんだから

その通りにしよう。

 

みなさんの宝物が守られますように。