祈りとあの日のきらめく空と

初めての出産と、18トリソミーと診断された我が子あゆむのこと。           あゆむは2019.1.24にこの世に生まれ、そしてお空に帰っていきました。     地上で生きる天使ママの日記。

孤独と虚無と重ねた時間 (『嫌な女』を読んで③)

こんばんは、ナユリゼです。

 

先日読んだ本についてもう少し。

なぜなら色んな興味深いテーマをまとめきれなかったので(笑)

分ければうまく行くかなー、と安易に思った。

単純にわたし自身も後から読みやすい。

 

大筋の作品についてはこちら↓

 

nayurizeblog.hatenablog.com

 

で、前回はこの作品の影の主役である夏子に焦点をあてて書きましたが、

 

nayurizeblog.hatenablog.com

 

今回は本来の主人公、石田徹子に関して。

 

 

 

彼女は3人きょうだいなのですが、

小さい頃に金銭的に困窮したことがあるらしく、

末っ子の彼女が叔父叔母の家に養子に出されそうになったことがある

けど、それを理解しつつも淡々と「仕方ない」と思っていた。

・・・と本人は記憶しています。

(その後色々あり、養子の話はなかったことになったらしい)

 

このエピソードだけでなく、子供の頃から徹子は「冷めた」子で、

自分でも「諦めてすべてを受け入れてしまえば楽になる」

と思っているような子で、

本書の2章まではそのようなエピソードがたくさん語られます。

すこし抜粋すると

 

『この孤独感は、誰にも理解されないであろうこともわかっていた。(中略)

夢中になれるものを見つけたかった。そうすれば、このぽつんとした感覚はなくなるような気がした。だが、なかなか見つけられなかった。』

 

『運命をすっかり受け入れてしまった方が楽になる(中略)あらがわなければ、傷は最小限に抑えられる。』

 

『いろんなものを受け入れているうちに、自分はなぜ存在しているのかと思うようになるのだ。それが虚しさという副作用。』

 

 

こうやって立て続けに抜き出してみると今のわたしとしては

うーん・・・・

と思ってしまいますが、

本を読んでいる間は徹子の聡明さに隠れて、

こういう孤独や虚しさを持て余したような印象はあまり感じません。

 

実は、上記の徹子の思考は、

おそらく多くの人が感じることがある一般的なものだ、とわたしは推測します。

でも、みんな「自分だけだ」と思ってるから、辛いんですよね。

 

2章までの徹子は20代なのですが、

3章(36歳)の時に、夏子の弁護の関係で病院で聞き込みをするうちに

とあるきっかけから

多くの患者さんに遺言書の作成を依頼され出すことになります。

彼女の転機ともいえるエピソードは

とても秀逸です。

それまでの徹子の甘っちょろいと言ったら失礼ですが

どこか覚悟のない孤独感と虚無感

そんなものチリのように吹き飛ばされるほどの圧倒的なものがそこにあります。

だが、孤独感と虚無感は消えたわけではない。

それも分かってる。

 

生きていくうえでの孤独感と虚無感の

そのふわふわ加減が余計に人をじわじわ苦しめるというのも

わたしは嫌というほどよく知っています。

けれどもなおかつ

元気に生きてればそれ以上のものは何もない

ということも狂おしいほどよく理解しています。

 

人は基本的にひとりだけど、

どうやったって独りぼっちだけど、

でも、常に、誰かと関わり合いながら生きている。

人生の愛おしさはそこにある、と思います。

 

 

徹子はあんなに孤独がったり虚しがったりしている女性だったのにも関わらず

色々な経験をし、色々なことをまじめに淡々とこなし、

人とも自分なりに相手を尊重しながら接することに徹し、

その結果、

いつの間にか親友と呼べる人物が2人もいて生涯を共に歩き、

師匠とも常につかず離れず信頼し合い、

理解不能と思えた個性的なきょうだいたちとも心理的に支え合う。

 

けれどもそれは結果であって、

いつのまにかそうだったというだけであって、

常に

「わたしたちいい関係だよね?」

と確認し合い、拘束し合うような関係ではないのです。

 

人生でずっと関わりあう人は

たぶんいつの間にかずっとそばにいる人

という気がします。

ただ、だからと言って、その人がずっとそばにいなくてはいけない、

ということもない気がします。

人には各々転機もあるし、色々な考えもある。変化もある。

その時は絶望でも、のちには希望になることもある。

 

本書を読んでいると、

その片鱗が目の前に示されている感じもします。

人生は、本当にどうなるかわからないものです。

 

人と人との関係性すらも。

 

 

そういう意味で、年を重ねるということは全く悪いことではないです。

ある意味楽しみなくらいなこと。

この本は24歳から71歳までの一人の女性の記録ですので

わくわくも不安も安定もリアルに感じます。

わたしが今43歳という真ん中あたりだからかもしれませんが、

どちらにもひとまず目が届く、という感じがします。

もちろん、年をとったらまたもっと違うものが見えるのでしょう。

 

年を取るのは機能が衰えることでもあるのでそれは怖いですが、

経験やそれに伴う考え方のバリエが増えることでもあるのでそれは楽しみ。

 

そんなふうにすら思えてしまうような

スケールが地味ながらでかい著作かと思います。

 

 

 

「人生で楽しかった出来事ランキング」

に入るような人物が誰かいるのであれば

その人はたぶん多かれ少なかれ大切な人なのだ。

 

そういう人がいること自体が

そもそも宝物のような気がする。

涙が出そうなくらい、そう思う。

 

 

 

 

みなさんの宝物が永遠に守られますように。