祈りとあの日のきらめく空と

初めての出産と、18トリソミーと診断された我が子あゆむのこと。           あゆむは2019.1.24にこの世に生まれ、そしてお空に帰っていきました。     地上で生きる天使ママの日記。

なかったことにはできません。

こんにちは、ナユリゼです。

 

すっかり涼しくなって、

とうとうヒートテックともこもこソックス(家用)を登場させました。

冬は好きではないですが、

あったかいものを着用する準備は割と好き。

 

 

先日ショックを受けたことがあって、

それは

わたしは新生児が退院してきたときに必要なもろもろのことを

何も知らない、ということ。

本当なら誰よりも知っているはず。

だって赤ちゃんを産んだばかりなのだから。

 

なのに何も知らない。

 

ということを突き付けられる何気ない出来事があって、

まわりにいた女性陣はみんな出産経験がだいぶ前にある方々だったので

「私の時はどうだったかなー。もうそんなのすっかり忘れちゃったわよ」

と笑いながら和やかに会話をされていた。

わたしもそれになんとなく合わせつつ、

あまりのショックに頭がまっしろになった。

 

あの時のきもちは

とても言葉で言い表せない。

 

何よりもショックだったのは

おそらくこれからわたしは何度でも

何気ない会話や出来事の中で

自分でも思いも寄らないきっかけによって

このように無防備な状態で頭を殴られたようにショックをうけ、

なおかつ、なんともないようなふりを装いつつ耐えなければならないんだな

と気づいたこと。

途方に暮れる。

どんなに時が経とうとも、その事実は変わらない。

途方に暮れるしかない。

 

 

 

わたしは思ってたんですよ。

わたしは強いな、と。

あゆむを失ってまだ1年も経ってないけど

わたしはこうやっていろんな気持ちを書いたり

将来のことまで考え始めたり

仕事も毎日普通に人の役に立とうと頑張って、

まわりの人との会話も楽しんで、

きちんと生きていってる。

強いし、案外傷の治りも早いし、

全然大丈夫じゃないか。

すごいじゃん、わたし。

って。

 

でもそんなことなかった、というのにもショックだった。

他の人から見たら

こんなにどうでもいい取るに足りないようなことで

いちいち頭がまっしろになるほどショックを受けて、

しかもそれはどうしようもないし、

自分でもそんなことで大騒ぎするのは好まない。

 

わたしは思った以上にボロボロに傷ついてるし、治るものでもないんだな、

と気づく瞬間がこうして時々やってくる。

 

 

でも、こういうのと、この先一生一緒にやっていかないといけないんだな。

 

 

 

傷はたしかに癒えるのかもしれない。

傷を受けなかったことには二度とできない。

傷は癒えても消えはしないのだ。

 

傷は経験であり、勲章でもあるかもしれない。

生きてきた証。

それを誇りに思えるときもあるのをわたしは知ってる。

 

だけど、傷がなかったらどんなにきれいでどんなに楽だったか、

と切実に思ってしまうこともある。

 

しかたない。

なかったことにはできません。

そしておかしなことに

なかったことにはしたくないとも言えるのです。

 

その複雑さが、ときどきわたしには手に負えない魔物のようだ。

手懐けられるように、なるのだろうか。

 

あゆむの存在は

わたしの中では燦然と輝く星のよう。

 

 

 

 

 

 

 

みなさんの宝物が守られますように。