祈りとあの日のきらめく空と

初めての出産と、18トリソミーと診断された我が子あゆむのこと。           あゆむは2019.1.24にこの世に生まれ、そしてお空に帰っていきました。     地上で生きる天使ママの日記。

俺の屍を越えてゆけ!

こんばんは、ナユリゼです。

 

 

俺の屍を越えてゆけ

というタイトルの、

わたしの大好きなゲーム作品がありまして。

 

www.sony.jp

CMがまた大好きで。

1999年に1が発売、2014年にPSPに移植、2014年に2が発売されている。

そのたびCMが作られているのですが、

なんと同じキャストで、

少しずつ変化する彼らも見られるのです。

年齢や外見だけでなく、内面も。

2014年版を見ると、なんだかどうしようもなく泣きたいような気持になります。

お父さんのキャストは岸部一徳さんです。↓

 

www.youtube.com

 

 

 

PSvitaPSP版をダウンロードして

久しぶりにプレイしていますが、

あー、やっぱり好き!!!

 

このゲームはちょっと変わったRPGです。

舞台は京の都(のようなところ)。

人々を脅かし、町を荒廃させる鬼たちの頭目を倒すのが目的だが、

「短命の呪い」と「種絶の呪い」

という二つの呪いをかけられてしまった一族が、

その頭目を倒すことにより呪いも解けるのではないか

という悲願も込めて世代を越え、闘い続けるというストーリー。

 

「短命の呪い」

というのは半端でなく”短命”で、

この一族は誰しも長くて2年くらいで寿命を終えます。

闘いで負ければそれは本当に死を意味します。

例えばドラクエでいう、教会の神父様やザオリク世界樹の葉

といった便利なものは存在しません。死ねば生き返ることはありません。

 

「種絶の呪い」

というのは人との間に子をなすことができない、

というものです。

ただし、天界の神々が一族に味方してくれて、

その神々と交わることで血を残していくことができる、という設定。

 

短い生涯の中で戦い、子をなし、子に奥義を授け、そして死んでいく。

それを短いスパンで延々と見ることになります。

けれども何人も何人も生み出し、育て、見送り、見送られ、

家系図がどんどん延びていくのを見ながらプレイしていると、

一人の人生だけでは到底わからないような何かを感じ始めてくる。

ああ、ひとは

こうやって血をつないできたのだな、と思うのです。

 

 

 

わたしは、

「子どもが欲しい」

と思うことは概ね親のエゴだと思っている。

例えば親の

「将来寂しいだろうから」とか

「家族とは子どもがいてこそだから」とか

「跡継ぎがほしいから」とか

「子どもが好きだから」とか

少子化だから」とか

そういう思いは子ども自身には何の関係もないのです。

全部親の思いでしかない。

 

ちなみに

わたしはエゴというのは人がその人らしく生きるために必要なものなので、

人としてダメというようなものでない限りは

別に悪いものではないと思ってる。

だが

「それはエゴである」

ということは認識しておくべきだ、とは考えています。

 

 

わたしは子どもに何を期待しているのだろう、

と考えると

究極的には

俺の屍を越えてゆけ!」

という気持ちを伝えて、その子どもより先に死にたいから、

ということなのだろうなあ、という気がします。

成長を見守ってきて、もうすっかり独り立ちしたな、

と安心して、それから

好きに生きろ!と言って死にたいから、という。

 

これって究極のエゴだ。

それゆえ

叶えられない状況も色んなパターンで存在する。

 

だけど、

そういうものなんじゃないか、という気がしている。

人はそうやって血をつないで、遺伝子を交えて、

また、そうできないこともあって、

今に至るのだ。

 

どんなに人のエゴが強かろうと、

そんなもの大した力はない。

だったら、

望んで、叶ったなら、

エゴだろうがなんだろうが、あとは一生懸命楽しむだけだ。

 

 

 

みなさんの宝物が守られますように。