祈りとあの日のきらめく空と

初めての出産と、18トリソミーと診断された我が子あゆむのこと。           あゆむは2019.1.24にこの世に生まれ、そしてお空に帰っていきました。     地上で生きる天使ママの日記。

残されるとき。

こんばんは、ナユリゼです。

 

 

本日午後、

わたしのことを生まれた時から今までずっと

慈しんで、成長を楽しみにして、幸せを願って、

心から可愛がってくれた大好きな

祖母が亡くなりました。

 

先月、

彼女の息子であるわたしの伯父(父の兄)が

突然亡くなったのですが、

彼女はその時すでに入院して闘病、

というか末期がんだったので

痛みや病状に耐え、

次々に来るわたしたちや親戚・友人たちの見舞いにも

立派に応対していました。

 

96歳なので

一般的には「大往生」と言えるのかもしれません。

でも、

心から悲しいです。

 

彼女は孫のわたしが言うのもなんですが

非常に立派なひとでした。

 

時代的に女性が色々と働くのは難しかったし不自由もあったと思います。

でもそんな中でも

保育士や民生委員の役目をこなし、

農家の嫁としても既存の畑ばかりか

お花の生産・出荷など自分の周囲の希望や自身のやりたいことを形にし、

気丈にみんなをひっぱり慕われるリーダータイプの祖母でした。

 

子どもを二人産み、

ひとりは先月亡くなった伯父で彼は独身、

もう一人はわたしの父です。

 

長男である伯父は先月急死、

祖母は既に末期がんということは伏せられた上で入院中。

伯父とはお互いの体調(を心配して)のことで喧嘩ばかりでしたが

意識は常にはっきりしているのに

食事もとれないくらい弱っている祖母に

「今度〇〇(伯父)が病院に来るときにラムネを買ってくるようにお願いしておいて」

などという祖母に(←吐き気が酷いためおそらく炭酸・甘味などが口にしやすかったと思われる)

伯父が亡くなったことをとても言えず。

 

伯父の葬儀を済ませました。

 

しかし、頭のしっかりしている祖母に隠し通せるわけもなく、

葬儀の翌日に父は祖母に全てを話したそうです。

きっとショックを与え、半狂乱になってしまうのではないか、と

不安を抱えつつ。

 

けれど、祖母は

そういうこともあるだろう、と予測もしつつ

なおかつ

兄の葬儀関連(その他もろもろ)をこなし、さらにこなしつづけることとなった

次男(父)をねぎらい、

さまざまな書類を有効にするための委任状にサインをするため

しばらくは毎日のように父が病院に訪ねていくと

末期がんの痛みが辛いのにも関わらず、

起き上がってペンを構えて一生懸命サインをしていたそうです。

 

 

 

彼女の孫はわたしとわたしのきょうだいだけです。

でも96歳と長生きしたのに

誰もひまごを見せてあげられなかった。

 

あゆむをおばあちゃんに会わせて、

できれば抱っこしてもらうことが

わたしのひそかな夢でした。

あゆむを妊娠したときは、あ、この夢が叶う、

と思った。

 

・・・けれど叶いませんでした。

 

祖母は

わたしが生まれた時からそれを喜び、

常にわたしとわたしのきょうだいを慈しんで

成長やその存在を嬉しがってくれる人でした。

 

わたしは思うのですが、

「生まれた時からそれを喜び常に慈しんで成長やその存在を嬉しがる」

ということはやはり並大抵のことではないと思います。

 

それこそ

親や

祖父母や

きょうだいや

そういう近しい「家族」でないとなかなか難しい。

(そうでない場合も勿論あるでしょうけども)

 

ああ、そういう存在がまた一人いなくなってしまったのだな、

と感じます。

それもとても大きな存在が。

 

残されて、あとには誰もいない、

という恐ろしさ。

 

もしかするとそれを回避するために

人は子を残すのではないか

と最近とみに思います。

 

結局自分のことしか考えてないのかなと思って

折れそうなほど愕然とするのに

子どもが欲しいという気持ちは止まりません。

どうしたらいいのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はあゆむとお月さまと共に過ごします。